ありふれた本棚

ミステリ

感想:『開かせていただき光栄です』皆川博子

 再読。以前に読んだのは中学生のときだったので、4、5年前になるだろうか。内容はラストを除いてほとんど覚えていなかった。

 暖炉に隠した死体が勝手に増えているという冒頭からして派手なのであるが、それ以上に私が序盤で引き込まれたのは、殺人事件のパートと並行して語られる、詩人志望の少年、ネイサンを主人公とするパートだ。

 田舎から自らの才能を信じて都市へと上ってきた少年、この少年の描き方が圧倒的に上手い。不安と自信がないまぜになった少年の内面を、一歩引いた場所からまさに名人芸とも呼ぶべき手際で丁寧に語り出す。ネイサンが、エドやナイジェルとの交流し、令嬢と恋愛する光景を、そのような語りを通して覗く私は、ネイサンというどこかいけすかなかった少年に、自分がいつの間にか共感し彼の夢を応援していることに気づかされ、物語にのめり込んでいった。しかし運命は残酷だ。ネンサンパートと並行する殺人事件のパートでは、エドとナイジェルによって死体がネイサンのものであることが語られる。ネイサンの夢が破れることを頭の片隅で抱えながら読み進めていくと、物語は徐々に不穏な展開を辿っていき、悲劇的な結末を暗示してネイサンのパートは終わる。この引き離してから突き放すような展開の起伏も見事だ。

 そしてネイサンのパートが終わり、殺人事件のパートに一本化されてからはミステリとしてまさに圧巻。ある仮説が構築されては、新たに提示された情報によって否定されていくというパターンが繰り返されるのであるが、キャスティングボードを握っているのが常にエドであり、エドが新たなカードを切るたびに物語の様相が変化していくのが実にスリリングなのだ。そしてそのようなスリリングな展開の中でも、さらに死体が転がり、新たな謎が生まれていくというサービス満点ぶりである。エドと対峙する盲目の裁判官の造形も見事で、助手であるアンがもたらす情報と聴覚、嗅覚を頼りとして推理を組み立てていく様が面白い。

 このような2転3転の中で徐々に事件の輪郭がはっきりしていき、一旦は決着がついたように思われる。しかしその後、最後の最後に法廷で起きる大逆転が実にまた素晴らしく、再読してみて序盤からしっかりと伏線が貼られていたことに気づかされ、感嘆した。しかもこのトリック自体が、当時のロンドン社会の暗部を利用したものであり、ひいては現在の停滞する日本社会をも貫くような威容を備えているのであるからたまらない。ミステリーとしても歴史小説としても実に贅沢な一冊である。